Suyeishi,Kaz
据石 和
1945年8月6日
広島市の朝
灰色の世界
血の色
恐怖の暗闇
挿絵について

編集後記


肉声1分39秒
 

in English

 

「美人薄命だと思っていたけどねぇ~ 、
憎まれっ子、世にはばかるだよ。」
と、
笑顔でジョークを交わしたのは4月13日でしたが・・・
2017年6月12日に永眠なさいました。

出典:Cultural News Photo, 撮影:Aug. 3, 2014

なんでここまで頑張ってこられたのか?って・・・
あのとき、ピカドンの下にいた人間にキノコ雲は見えなかったんだよ。
何が起こったのか判らない、
どうなるか見当もつかない世界で、
遺体の片づけや看病をしていた人が、次々に突然亡くなっていくんだよ。私は、『生きたい』と願いながらもわけもわからずに死んでいった人々に、生かされただけのこと。

原爆なんて、だぁれも知らない時代だからね。
生かされた人間にあるのは不安と恐怖だけ。
悪いことはなぁんにもしてないのに、キノコ雲の下にいたことが罪のようにおおいかぶさって、はずかしいことのように口を閉じるんだよ。
生かされた人間は何かをしなくちゃいけないと思っても、いじめにあうかもしれないというのが恐ろしかった。お嫁になんて行けないしね。

そんなときにパパさんがプロポーズしてくれて、あきらめていた子も授かった。大好きなパパさんの子を産みたいけど、被爆者というわけのわからない不安を残すだけでは?
と、悩んで悩んで悩んだけど、生きたくても死んでいった人たちの分も生きなくちゃ!
と、授かった命をつなげたくてね。

とにかく、『アメリカの地で、母親の私がいつ死んでも生き抜いていけるように』と、娘は厳しくしつけて自立させたよ。

パパさんのタネである一人娘がアメリカで生き抜いていけるように【平和のタネ】まくしかないと思ったんだよ。
でも、子どもの暮らしをインボルブしちゃいけないと思って、自分でできることをコツコツと続けるだけだよ。


以上、4月のおしゃべりを追記して
和ママの健闘に感謝申し上げます。 


Oct.26-2011@U.N. ロサンゼルスのパサデナという町で1927年1月に生まれたので私も“アメリカ人”です。でも、幼稚園のころに両親に連れられて里帰りし、広島で育ちました。
「アメリカは広くて、夢をかなえてくれるデッカイ国」と、いつも両親から聞いていたので、第二次世界大戦が始まった日本で、いきなり「鬼畜米英(きちくべいえい)」なぁんて教えられても、敵だとは思えなくてねぇ…。
戦後、日系二世の九州男児と結婚してロサンゼルスで暮らし始めました。無理だとあきらめていたこどもにもめぐまれて、今、生かされていることに感謝できるようになり、アメリカ市民として自分ができることを考えるようになったの。

ルスのパサデナという町で1927年1月に生まれたので私も“アメリカ人”です。でも、幼稚園のころに両親に連れられて里帰りし、広島で育ちました。
「アメリカは広くて、夢をかなえてくれるデッカイ国」と、いつも両親から聞いていたので、第二次世界大戦が始まった日本で、いきなり「鬼畜米英(きちくべいえい)」なぁんて教えられても、敵だとは思えなくてねぇ…。
戦後、日系二世の九州男児と結婚してロサンゼルスで暮らし始めました。無理だとあきらめていたこどもにもめぐまれて、今、生かされていることに感謝できるようになり、アメリカ市民として自分ができることを考えるようになったの。

私にできることは“アメリカで大きくなるみなさんにヒロシマでの体験を伝えて、平和のありがたさを考えてもらうこと”と思い、今までがんばってきたの。みんなで手をつなごうという気持ちで、おばあちゃんの話を聞いてちょうだいね。

 

『忘れたい! 忘れたい…。 でも、忘れられない!!』
生活の場所が変わっても、何年たっても忘れられない
1945年8月に焼きついた四つの色:

晴れわたった青空の色,

白いブラウスにしみついた灰色,

火事と血液の赤,

恐怖の暗闇…


【補足説明(ほそくせつめい)1:1930年ごろの日本】
みなさんのおじいさんやおばあさんが子供のころ、日本は中国などのアジアの国々を侵略(しんりゃく)して、世界大戦のうずの中に入っていきました。アメリカやイギリスなどと日本が戦争(せんそう)をしたのです。
世界大戦で、医療(いりょう)や通信機器(つうしんきき)など、今の私たちの生活をささえる産業(さんぎょう)が発展(はってん)しましたが、そのかげには多くの犠牲(ぎせい)がありました。
世界大戦が終りかけたころ、アメリカで原子爆弾(げんしばくだん)が開発(かいはつ)されました。
当時の広島には据石和さんのようにアメリカで生まれた人やアメリカ移民(いみん)のしんせきなど、アメリカと深い関係を持つ人がたくさんいました。さらに、捕虜収容所(ほりょしゅうようじょ)にはイギリスやオランダの兵士(へいし)もいましたが、原子爆弾の最初の投下地(とうかち)に広島が選(えら)ばれました。
原子爆弾の熱風(ねっぷう)や死の灰(はい)は、老若男女(ろうにゃくなんにょ)や国籍(こくせき)の区別(くべつ)なくおそいかかり、65年以上たった今も人々の心と体を苦しめています。

【補足説明 2:Hibakusha :ひばくしゃ】
空襲や爆撃で被害を受けた人を被爆者,放射能(ほうしゃのう:Radiation)を浴びた人を被曝者と、ことなる漢字をあてることもあります。

 
NHK戦争証言アーカイブス
NHK「戦争証言アーカイブ」
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001120001_00000

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