Suyeishi,Kaz
据石 和
1945年8月6日
広島市の朝
灰色の世界
血の色
恐怖の暗闇
挿絵について

編集後記

 

in English

 

質問1:広島で“きのこ雲”をごらんになったときのことを
うかがわせてください。

     
(あおむらさき色のわく↑をクリックすると大きなサイズになります。)

Oct.26-2011@U.N. アメリカ軍(ぐん)が撮影(さつえい)した写真の印象(いんしょう)が強いからでしょうねぇ…。
『原爆投下(げんばくとうか)のときに、きのこ雲が見えた。』と、思っていらっしゃる方が多いけれど、“きのこ雲”なんて…見えなかったのよ。あの雲の下にいた者にはね。

あの朝はきれいな青空…。
アメリカの飛行機は大きな銀色の機体を光らせて、とてもきれいだったのよ。
実際に空爆(くうばく)された経験なんて、それまで無なかったことですしね。
18歳の女学生だった私は、まわりの日本人には、分からないように
そっと“Hi,Angel!”なぁんて、心の中で手をふっていたのよ。

鬼畜米英(きちくべいえい)と教育されていた時代だから、敵の飛行機を“きれいだ…”なって言ったら『非国民(ひこくみん)』としかられたのよ。

原爆投下の朝、母は台所で料理をしていて、父は上半身はだかで畑に出ていたの。

弟は建物疎開(たてものそかい)の勤労奉仕(きんろうほうし)に出ていて、私はとなりの家の洗たく物とわが家のあいだで、飛行機が東の空に飛んでいくのを見送ったわ。

白い斑点(はんてん:B29)が通り過ぎて、20~30秒ほどたったころかしら…

突然、ピカッ!って…
ものすごい閃光(せんこう)!!

今の私の体じゃ、あんな動きはできないけど、アノ頃は、若かったから、とっさに、耳と目をふさいで、となりに干してあったふとんの下にもぐりこんだの。

しばらく、気を失うしなっていて…、
体にのしかかった家の重みで意識がもどったときには、上半身は無傷で、足の傷からの出血もほとんどなかった。

どんな動きをしたのか…よくおぼえていないけれど、とにかく、干してあった隣のうちのお布団を頭からかぶって、くずれてきた建物の下じきになっていたので、おもてから見える傷といえば、歯が欠けたくらい…。
なん時間かたってから、腰骨(こしぼね)を骨折(こっせつ)していたことが分かったの。

数日たって髪(かみ)の毛がぬけ落ちた時に、
「としごろの娘(むすめ)がこんな姿(すがた)になって…」と、母親がなげいたけれど、今でもこうして命があることに感謝しなくちゃね。