Suyeishi,Kaz
据石 和
1945年8月6日
広島市の朝
灰色の世界
血の色
恐怖の暗闇
挿絵について

編集後記


 

in English

 

質問2:体中にガラスの破片(はへん)がささったり
眼球が飛び出したりと、悲惨な被爆者の写真や図が多いのに、
今の和さんの体には被爆の傷がなにも見えませんが…

Oct.26-2011@U.N. アメリカの『原爆を考える会』の中にさえ、ケロイド(keloid)が被爆のシンボル(symbol)のように思っている人がいますからね。

でも、閃光(せんこう)による重度の火傷(やけど)と熱風による破壊(はかい)だけが被爆ではないのよ。

あとで考えれば、私を押しつぶした建物で腰を骨折したけれど、その建物がかげを作ってくれたおかげで、火傷のケロイドができなかったのね。でも、被曝者(ひばくしゃ)はだれもが、いつも胸の中に時限爆弾(じげんばくだん)をかかえているのよ。

爆弾が落とされたときに、父は、ふんどし姿(上半身はだか)で畑を耕していたの。その父が「やられた~、やられた~」って、うめきながら帰って来たわ。背中は無きずなのに、閃光(せんこう)を浴びた体の前半分は血まみれで…、悪いれど、『父はもう助からない…』って思ったわ。

母はちょうど、台所のテーブルの下の物を拾おうとして身をかがめた瞬間(しゅんかん)で、まどガラスの破片(はへん)でけがをしただけですんだの。

近所の人が集まって来たけれど、その時には、いったい何が起こったのか、だれもけんとうがつかなくて…
「どうなったんかいのう、」と言うばかり。

それぞれ、自分の近くに焼夷弾(しょういだん)が落とされたと思っていたの

 

広島の町から山のほうへ避難(ひなん)するために、多くの人がうちの前を通り過ぎたけれど…、だれもが力なく無言で静かに…。

友だちの妹さん(まだ小学一年生くらい)は、おなかの肉が半分もぎとられた状態で集団下校してきたけれど…

“海ゆかば水づく屍(かばね:死体)、山ゆかば草むす屍…”の状態で、今のあなたたちには想像もできないような…。
色にたとえれば、くらいねずみ色の世界ね

 

けが人や父を病院に連れて行きたくたって、病院やお医者様もとても、大変な状態ですからね。ただ、幸いなことに、関東大震災(かんとうだいしんさい)を経験した看護婦(かんごふ)さんが家の近所に住んでいらして、毎日、傷の手当てをしてくれたの。包帯やガーゼなんてないから、シーツを包帯代わりに毎日、洗濯して使うの。
看護婦さんが立ち上がって『旦那様、まいります。』と気合いを入れて、ビ、ビッ!と、そのシーツをはがすと、父の悲鳴が家中にひびきわたったわ。でも、おかげさまで、父の体には蛆虫(うじむし)がわくこと無かったのよ。

 

【補足説明:焼夷弾(しょういだん)】
1945年初夏からは、日本の本土でも多くの都市が空爆を受けました。第二次世界大戦の頃の日本建築は紙と木が中心でしたので(石造りのヨーロッパ建築を爆発で破壊するのに比べ)焼きつくす爆弾(焼夷弾)が効力を発揮しました。

【補足説明:蛆虫(うじむし)】
英語でmaggot:昆虫(こんちゅう)の幼虫。この場合は特にハエの幼虫をさします。当時、きれいな水や薬品が不足して、被災地ではハエが異常発生し、死体ばかりではなく、生きている人の体にもハエやうじむしがたかりました。