Suyeishi,Kaz
据石 和
1945年8月6日
広島市の朝
灰色の世界
血の色
恐怖の暗闇
挿絵について

編集後記



肉声27秒
 

in English

 

Oct.26-2011@U.N. こんどは、おばあちゃんからの質問ですよ。

写真や絵からは、ハエの飛ぶ音なんて聞こえてこないし、
体の焼けるにおいもしませんね。

“血のにおい”って分わかるかしら?


広島高等工業から建物疎開(たてものそかい)にかりだされていた17歳の弟が、友だちにささえられて、やっとの思いでもどって来たのよ。弟が力つきて、川べりで休もうとしたら、
一升瓶(いっしょうびん)だけを手にした見知らぬおじさんに、
『ここで、横になったら、そのまま死ぬぞ!』って、お酒を飲まされたんですって…。
もし、その時にお酒を飲まされていなかったら、弟は川べりで力つきて、家にもどって来られなかったでしょうね。

自分の体の臭いって、すぐになれるものなんだけれど、弟は苦しみにうめきながらも、
『血の臭いを消したいから、母親の香水をふりかけてくれ…』と言って、私を困らせたの。
今にもくずれ落ちそうな家に入るのは危険で、父を軒先(のきさき)に寝(ね)せていたときにね。
瀕死(ひんし)の状態の弟の願いは、かなえてあげたいけれど…と、
困っていたときに、ワインが手の届とどくところにあったので、傷口(きずぐち)の洗浄(せんじょう)をかねて、バーッと一本、かけてやったわ。

今でこそ、『爆心地から疎開(そかい)するのに、お酒のびんだけを持っているなんて、おかしなオジサンだ。』と思えるけれど、人間、いざとなったら理解できない行動をとるのよね。とにかく、その人と、同級生には、今でも感謝の気持ちでいっぱいですよ。
…でもね~、たいした傷もなく、弟を連れてもどってくださったお友だちは、数週間ののちに発病して亡くなりました。

とにかく、あのころは、分からないことばかりでねェ~
やけどをしていないからと、救援(きゅうえん)に当たっていた人が
突然(とつぜん)亡くなったりしましてね……

あのころは、着る物も食べ物も全すべてが規制(きせい)されていて…、配給(はいきゅう)の食料品だけでは栄養が足りない時代だったのよ。両親は闇市(やみいち)で食料品を集めて私たちを育ててくれたの。栄養価の高い物をたくさん食べていたおかげでしょうね、弟は当時の人の中では、頭ひとつ分、背が高くて、じょうぶな体をしていたの。今でも元気に働いていますよ。

 

みなさんも、好ききらいなんて言っちゃダメ!
出された食べ物に感謝してたくさん食べておくんですよ。