散華抄
召集令状を
受けて
ラバウル上陸
ココポの勤務
ラバウル患者
療養所
さらば
ラバウル
マニラ仮宿舎
ダバオ
第13陸軍病院
マライバライ
第4野戦病院
リナポ退避
ジャングル
逃避行
先発隊の記録
後発隊の記録
白旗を立て
ブツアン川を
武装解除
参考と出典

14)武装解除
兵隊たちは幕舎に、私達は刑務所だったという建物の中にベッドを入れて収容してくれた。アメリカ軍の日系二世がかわるがわる見舞いに来てくれて、「米軍は、貴女達が兵隊と一緒にジャングルの中に入ったと知って探しに行ったが見つからなかった。貴女達はジュネーブの国際赤十字条約を知らないのか…」と言った。「知ってはいたが理屈と現実は違う」と答えるより仕方がなかった。私達は必要以上におびえ、愚かにも国際赤十字条約を思い出すことすらできなかったのだ。水兵服を着た米軍がカメラを私達に向けた。私達はとっさに身体を伏せた。こんな姿を写真に撮られたら日本女性の恥だと思った。
兵隊は皆この場で武将解除。四~五日してアグサ州グツアン米軍俘虜収容所に移された。
アグサ州グツアン米軍俘虜収容所に着くと、先に収容されていた兵隊や将校が飛んで来て「よくもこれだけ生きてこられた、奇跡だ。よく頑張って耐えてくれた」と涙を流されたのには驚いた。所が変われば人の気持ちも変わる…、これがあの山の人たちの生き残りかと思うと不思議な気持ちになった。
それよりも私達の目を疑わせたのは、いよいよジャングル入りと決まったとき、リナポに乾パンを与えて置き去りにした患者達がピンピンして目の前に現れたことであった。『人間なんて何が幸で何が不幸か分からない』とはこの事だ。立派に治療してもらって内地に帰る日を待っている。心の底からよかった、よかったと思った。何もかもが本当に運命なのだとしみじみ思った。
後発隊が合流したときから木村さんが結核にかかっていることは分かっていたが、軽い咳の発作が絶え間なく襲うようになり苦しそうだった。「内地に早く帰りたい、早く、早く…」と言っておられたが、診察を受ける前に亡くなってしまった。心臓麻痺なのか、それとも急に栄養のあるものを口にしたためか原因は分からない。とにかくベッドの中で静かな寝顔だった。『内地までは体力がもつまい…』と覚って、よけいに内地が恋しくなったのだろう…と涙を誘った。木箱に入れられ、米軍と鍋島と奥西に付き添われてデルモンテーの米軍墓地に手厚く葬られた。ただ一人の上級生だった木村さんはここまで来てさぞ無念だったことだろう。いよいよ7人になってしまった。
私達は師団長閣下なみの待遇で、私達には食べきれないほどの缶詰などの食料品が出た。グツアン米軍俘虜収容所に着てからは元師団長がいたという幕舎に入れてもらって、掃除一切は日本の将校が米軍の引率のもとでしてくれた。この頃から、私は午後になると発熱していた。掃除にやってきた元将校に気の毒でベッドから起き上がろうとすると「寝ていて下さいよ。もともと我々の責任でこうなったのですから」と、それを制した。が、誰の責任でもない。気の毒で、手をつけずにとっておいた食料品を、掃除に来てくれる将校さんにそっと渡してあげた。幕舎のまわりには米軍が歩哨に立った。米軍の日系二世がオーストラリア製の化粧品セットを大量に持って幕舎を訪ねてくれた。
「日本の女性は美しいものです。日本の女性が汚くては絶対にいけないのです。これを使って下さい」と差し出されたときには、二世の気持ちが痛いほど胸にこたえて恥ずかしかった。
「何かいるものがあれば言って下さい」と言われて「チリ紙が欲しい」と答えると、早速、石炭箱にいっぱいのトイレットペーパーを持って来てくれたのには恐縮した。

日系二世の兵士

ここもまた去るときがきた。船がミンダナオ島の岸壁を離れるとき『これで死神と別れられる』と心の底から安心した。英霊は必ずお母さんのもとに戻っていると信じながら『あの谷、あの川の遺体よ安らかに』と祈り続けた。レイテに移るランチの中で久野隊長に再会した。隊長の周りに私達7人は席を占めた。なんといっても命の恩人である。横にいるだけで心がなごんだ。タクロパン港に着いてお別れして以来、一度も久野隊長にお目にかかれないでいる。

15)母国上陸
レイテ島の収容所で約半月を過ごし、11月25日に米軍輸送船ジョンエルサルパン号に乗船、翌26日にレイテ島タクロパン港を出発。
12月4日、浦賀に入港した。船上より富士山だけがぽっかり浮き上がったように雲の上に見えたときの感動は忘れられないが、十五柱の霊と共に浦賀の土を踏みしめたとき、言いようのない悲しさにおそわれて、内地に無事帰って来たのだという喜び感激などは不思議にわいてこなかった。何故だろう。それは内地が戦災で荒廃しており、人も家も、私達が救護任務に勇躍したときと事情がまるで違ったことを理解できなかったせいかもしれない。あんなに夢見た母国の現状が悲しみを一層深いものにした。喜びや感激はかき消されて空虚さだけになった。

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