散華抄
召集令状を
受けて
ラバウル上陸
ココポの勤務
ラバウル患者
療養所
さらば
ラバウル
マニラ仮宿舎
ダバオ
第13陸軍病院
マライバライ
第4野戦病院
リナポ退避
ジャングル
逃避行
先発隊の記録
後発隊の記録
白旗を立て
ブツアン川を
武装解除
参考と出典

3)ココポの勤務
軍用車に分乗してのココポまでの途中、バナナ林やヤシ畑の中で、吹き流しのついた略帽の兵隊があちらこちらに一かたまりになって懸命に手をふりながら歓声をあげていた。小休止をすると、たちまちその辺の部隊から何杯かのバケツに、ココアやバナナなどが届けられた。
ココポに到着したのはほとんど日が暮れかかった頃で、宿舎へ直行した。宿舎はバラックだが床の荒板の上にワラのマットがずらりと並べてあった。「夜間はほとんど空襲があるので気をゆるめないように」との注意があったので、マットの横に靴を置き眼鏡をかけたまま服も脱がずに横になった。夜半の空襲警報に跳び起きて見ると、敵の攻撃目標はラバウル地区であった。南十字星が夜空に美しくまたたく中をサーチライトがあかあかと動いていた。
翌朝から兵庫班は外来病棟と将校内科の二班に分かれ、私達(尾崎と鍋島)は内科に配属された。将校は部屋の中の板の上で、まわりのコンクリートの上には毛布一枚を敷いた兵隊が、足の踏み場もないほどゴロゴロと転がっていて度肝をぬかれた。このときから息つく暇もない目まぐるしい日々が始まった。毎日勤務に出るたび、幾人かが死んでいた。
ココポでの2ヶ月間、時沢主任,飯田中尉,竹内さん,岡谷さん,兼折さん,多々和さんら多くの方に忘れられないほど親切にしていただいた。ジヤマンシンもその中の一人だ。インドネシア人だが、私と一緒に病理の可検物の係になり、端麗な顔に一抹の寂しさをたたえてよくインドネシアの話をしてくれた。
将校病棟の外のヤシ畑のむこうに建てられた精神病棟も私達の係だった。性的なことだけを口にする患者や戦闘作戦のことだけを言う現役将校など、佐官級から一等兵までたいへんな人数だった。顔が紫色に腫れた年老いた少佐は(暴れるからであろう)担架に手足を縛られて何とも言いようのない笑い声を上げていた。人間の弱さを目の当たりにしながら「これが前線なのだ」と、夜明けから暗くなるまで走り回った。
ココポ2ヶ月の間に戦死前日の山本五十六元帥の訪問を受けたことも忘れ得ないできごとの一つだ。
6月22日:私たち将校病棟勤務の兵庫班11名はラバウル患者療養所に転属を命じられ、最前線に行く勇士のような送別会に送られてラバウルへ向かった。空襲の連続に悩むより悲しかったのは兵庫班が二班に別れることだった。

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