二つの祖国

鮫島等氏(Mr. Hitoshi Sameshima)の訃報に接し
全米日系人博物館で収録されたYoutube動画を
追加したサイトを作りました。

http://jasakura.com/hitoshi/

上のURLをクリックしてください。

古めかしい農村を嫌って新天地を目指した若者もいたが、1868年〜1900年頃のパイオニア移民の多くは金衣帰郷きんいききょうを夢見ていた。
明治維新で農民が納める税金のシステムが大きく変わり、清国と露西亜を相手にした十年間隔の戦争などで農村は荒れ、米や生糸の生産が減っていた。農村にはさまざまな仕事の斡旋会社ができた。「校長先生の給料の20倍も30倍ものお金をアメリカから送金できる」という話が現金収入を求める者の一攫千金いっかくせんきんの夢をふくらませたことだろう。

パイオニア移民たちは不平不満を言えずに従順に働き、白人労働者の労働場所をおびやかす脅威とみなされて排斥(差別)の対象にされながらも、黒人や中国移民に代わる便利な労働力として仕事の場を広げていった。
彼らを送り出した田舎の貧しさが“忍耐”を支えたのだろうか。小さな島国で農耕する民族の遺伝子が「しかたがない」と、不平不満を言わずに勤勉に働かせたのだろうか。
やがてパイオニア移民はコミュニティーを広げ、日本から嫁を迎えて子ども(日系二世ジャパニーズアメリカン)を育てていった。


アメリカで生まれた子どもは“アメリカ国籍”だが、パイオニア移民の家庭では「日本人として恥ずかしくないように!!」と日本的なしつけがされた。


Pledge of allegiance 公立小学校の朝礼(出典The Asia-Pacific Journal
“私はアメリカ合衆国の国旗と神の下で、全ての人に自由と平等をもたらす
ひとつの分かちがたい国家である共和国に忠誠を誓う”

スポーツにしろ研究開発にしろ“国家に貢献できる(役立つ)とみなされた人材”であれば、人種を問わずに手厚く保護されて無料進学のチャンスにも恵まれる・・・というのは1960年代になってからのアメリカの話で、わずか60数年前まで、有色人種にはガラスの天井があった。

「せめて対等になるには学問しかない」と言われて(肌で感じて)育つ日系二世たちは、勤勉に働く日本人の姿を見ながら、家の中では“日本人として”同時に外では“アメリカ人として”二つの祖国をもつことになった。

日系二世が“勤勉で優秀”というステレオタイプの評価をアメリカで得た1930年代…西洋列強の帝国主義に少し遅れて富国強兵政策をおしすすめた日本は、その経済圏をアジアに拡大した。いわゆるアジア植民地への後発参加である。ABCD列強との利害関係がこじれる中、ついに日本帝国軍はアメリカ領パールハーバーを奇襲した。


【↑アメリカ軍】

日米対戦は“二つの祖国”を持つ
日系二世や三世の生活を一変させ


【↑日本軍】

アメリカへの忠誠も従軍も拒否する道,

日本への忠誠と従軍の道,

アメリカへの従軍の道…など

今の日本人(私たち:このサイトの製作者と読者)には想像しがたい過酷な選択肢を彼らにつきつけた。

このサイトで使用している画像は、鮫島等さん・小野正己さんから頂いた写真と、すでにパブリックドメイン状態のものです。画面右上の【太平洋の掛け橋】をクリックすると日米移民の略史が別画面で開きますので鮫島等さんのお話と並べてご覧下さい。

TVファンの竹内氏のご理解とご協力で、『日系アメリカ人の歴史』〜アメリカに渡った日系人の歩み〜のインタビュー記事(TV Fan誌発行:2001年3月)を利用させていただきました。参考資料:TV Fan誌 ISBN 1-881161-16-1

【サイト制作にあたり】ロサンゼルスの全米日系人博物館で日本からの修学旅行生に展示案内
をするボランティア活動の時(2004〜2007年)に鮫島等さんと知り合いました。
ある日、等さんが「ご不浄はこちらです」と日本から来た高校生に一言。高校生はきょとん
私は思わず「トイレはこっちですよ。」と口をはさみました。
日本語学校の展示の前で「朕おもうに我が皇祖皇宗…」と直立不動の姿勢で語り始めた等さんに
「すみません、この子たちは教育勅語を知りません」と断ると、今度は等さんがきょとん
また、私が“千人針”の実物を初めて目にしたのもこの博物館でした。

今の日米関係を考えるのに全米日系人博物館は必見です。
ぜひHitoshi Sameshimaの話を日本の子どもたちに伝えたいと思ってサイトにしてみました。
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