平和学習教材 原爆の図を描いた丸木夫妻からのメッセージ(2011年5月14日) 

1980年にロサンゼルスで生まれた息子が、1994年に現地校のプロジェクトの一環で丸木夫妻にインタビューをしました。
その際いただいた著書や画集などを、5月14日の“こどもの家”AU+AV+中高生クラスの合同授業で使用しましたが、やはりヒロシマのきのこ雲の下にいたアメリカ人捕虜の話が高学年には印象深かったようです。低学年の児童にとって戦争は『遠い昔のこと』のようでしたが、年表で「園長先生が1歳の頃の話だ」と確認しておどろいていました。

日本語サークル(2011年3月25日) 

平日の午後“我が家にいてもできる仕事”=インターネットのスカイプ機能を利用した塾の講師を1月から始めました。

日本語補習の新しく有効な形態だと思います。

詳細は【ベストゼミナール】をご覧下さい。

聴音教材(小2の漢字160枚)カルタ原画へリンク 
こどもの家土曜クラス(中級)の児童に、好きな漢字を選ばせて
「漢字を知らない人に、この絵札を取らせるには?」というテーマで読み札を作らせてみました。
漢字の成り立ちを「この形からできた漢字です。」と動作で示したり、英語で説明したり…と、
クラスの児童は、漢字を表意文字としてしっかり把握しているようです。カルタを一枚ずつ制作するのは肩のこる作業ですが、報われた気持ちになりました。

←マウスをのせると“読み”の確認ができるサイトへリンク

聴音教材(小1の漢字80枚)カルタ原画へリンク 
日本語に耳を閉ざす児童でもカルタ遊びのときには耳を傾けてくれるものです。この教材のめあては“聴音”が“主”で、漢字は“副”です。“読み札”の例文はフリッカーに掲載していますが、児童のレベルや学習のめあてに合わせた読み札にすることで様々な利用が可能です。さらに「このカルタをお友達に取らせるには、どのようなヒントをあげればいいでしょうか?」と、短作文の教材としても利用できます。【Costco Photoが割安なので、80文字を1枚ずつの写真にしました。】

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平和学習教材 繰り返されてはならないアメリカの不正義に翻弄された移民の話

LAの全米日系人博物館で“千人針”を目にしたのが2002年。
千人針を身につけたアメリカ兵がいたことを知って日系米人の歴史に興味をもちましたが、当時は日本語の資料がほとんどありませんでした。そこで博物館の講習を受けてドーセントになりました。日本からの修学旅行生にボランティアの案内をしたときに知り合ったのが鮫島等さんです。Hitoshiの人生から移民の国アメリカの歴史に児童の目を向ける教材です。【日米の掛け橋】をクリックして、年表とHitoshiの話を並べて読んでください。

私は“日本帰国時に困らないだけの学力と生活態度を育てる”という日本語補習校に19年間勤務しましたが、アメリカの現地校に軸足を置いてジャパニーズの勉強を志す児童のお手伝いをしたくて、2007年9月からサンゲーブル市の“こどもの家”の土曜クラスで教えています。
2009年度には、前年度の“低学年クラス”を“中学年クラス”に持ち上がりました。左のサイトは、2009年度のクラス(8歳〜10歳の元気な17名)の学習の記録です。

PCCとカルフォルニア工科大学でジャパニーズを教えているDr. Hiraiのリクエストで、大学生の宿題(漢字カード等)を画像としてアップロードし、さらに学習漢字をジャパニーズの辞書とリンクさせました。
クラスの進捗状況に合わせての一年がかりの制作になりましたが、私にとっては、日本語のバックグランドを持たない大学生のジャパニーズクラスを知るいい機会になりました。
第一言語のレベルが高ければ、それなりのジャパニーズが期待できるということを再確認しました。

平和学習教材B
日赤からラバウルに従軍した看護婦さんの手記と写真

地球儀を回しながら赤道直下のジャングルを想像させた上で、大人と一緒に読み進める教材です。
このシリーズは小6〜中3の総合学習を対象に制作してきたのですが、オリジナルの手記が非常に重たい内容で、漢字の差し替え以外はほぼ原文のままです。

「血のついた白衣や写真は棺に入れて一緒に焼いて欲しい…」とおっしゃいましたので、急ピッチでタイプ打ちをしました。
つらい記憶を語って下さったことに感謝して次世代に伝えるべき内容です。

平和学習教材A
アメリカに日本食を広めた金井紀年さん

渡米した最初の世代を“一世”,その子らの世代を“二世”と呼びますが、アメリカにおけるジャパニーズフードの先駆者:金井紀年(かないのりとし)氏は自らを“新一世”と呼んでいます。
金井さんは貴重な写真をたくさんお持ちですので、スキャンしてフリッカーからアップロードさせていただきました。

ロサンゼルスには日本の品があふれて“外国”であることを忘れそうですが、それが『あたりまえではない』ということを児童に考えさせて物流や食品自給率に目をむける導入教材として制作しました。

平和学習教材@
アメリカでヒロシマを語り伝える据石和さん

据石和(すえいしかず)さんはアメリカで生まれ日本の女学校に通ったジャパニーズアメリカンで、18歳のときに広島で被曝。戦後、帰米して、日本人医師団による在米被曝者の健康診断を実現させた活動家です。アメリカのメディアにも度々登場なさいます。すでに高齢で杖を手放せない状態ですが、「語り伝える事が使命!!」と、アメリカの学校や日本語補習校からの講演依頼に出向いて下さいます。教壇の上では矍鑠とユーモアを交えて子どもたちに『平和』について考えさせて下さいます。
素人の50歳の手習いに過ぎませんが『和ママの語りを何かの形で残したい・・・』と思ったのが、私とホームページのなれそめ。これで老眼が一気に進行しました(笑)
画家の丸木夫妻とは以前から親交があり、画集や著書を頂戴していましたので、挿し絵として利用させていただきました。

調べ学習の入り口として日本語補習校で利用したい
日本史ワークシート

補習校(主に土曜クラス)では日本国内の1週間分を土曜日だけで学習します。家庭学習に負うところが大ですが、卒業生は異口同音に「原始生活から国家の成立や帝国主義を経た近代化までの通史を把握しておく事は現地校のAPの学習でも強力な基礎知識になる」と言います。アメリカの大学入試ではアクティビティーが高く評価されますので、進級に連れて土曜の時間をアクティビティーに費やさねばならず、現地校と補習校を両立させる事の負担は増大します。この過酷な現実の中で『アメリカで育つからこそ日本文化のルーツを把握したい/把握させたい』というニーズから生まれたのが、この“ワークシート”です。
昨今のインターネットの発達で調べ学習は便利になりましたが、時間の制約がある補習授業にとっては“帯かタスキ”のサイトばかりでした。『私が私のクラスで欲しいサイト』というコンセプトで無謀にも制作を開始したのですが、たたき台を作るのに2年,使用した画像の著作権の許諾申請や断られた画像の差し替え作業に1年かかりました。
@小学部での日本史導入の時に教科書に出てくる歴史上の人物や事柄を児童がワークシートに書込み歴史の大まかな流れをとらえること,A中学部での古典や世界史の学習の時に小6でノート代わりに作ったフォルダーを開いて背景を確認できるような教材にすること,B教師はこのサイトをプロジェクターで投影して児童生徒の知的好奇心を刺激し家庭での調べ学習に発展させること,といった欲張った目標を掲げました。【手】の図をクリックすれば単元目標に即したサイトにリンクできるようにしました。
新しい発見にたびに更新が必要ですのでこれからも終わりのない作業が続きます。

睦合小学校の国際交流集会専用のサイト@
個人的に全米日系人博物館のドーセントをしていた関係で、多文化社会米国理解教育研究会で開発されたニッケイ移民トランクと紙芝居という教材の存在を知っていました。『移民トランクと紙芝居を上手く結び付けて日本の児童に多民族国家アメリカの成り立ちに関心を持って欲しい。』と常々思っていましたので、睦合小学校から「アメリカについて何か話を・・・」と連絡をいただいた時には、うれしくてすぐに教材を用意しました。2007年5月、ロサンゼルスでデジタル化した紙芝居をプロジェクターで映し出し、多文化研究所から熊本に貸し出していただいた移民トランクを開くという導入案でした。紙芝居は多文化研究所の中山先生の許可をいただいてデジタル化したもので、一般のサーチ検索にはかかりません。

睦合小学校の国際交流集会専用サイトA
ロサンゼルスのハイスクールでも第2外国語は必修科目です。日本の生徒が英語で苦労するように、アメリカのティーンもスパニッシュやチャイニーズやフレンチなどで苦労しています。近所のお嬢さん(両親共にアイリッシュ系のミス・アリソン)がハイスクールでジャパニーズの学習を始めましたので、『外国語の学習に努める者の存在を知ることはお互いの励みになる』と思い、2007年12月、睦合小学校とのテレビ会議にご登場願いました。
睦合小学校から質問のメモを渡しておいたところ、テレビ会議当日、アリソンは自分で作文した日本語のメモを用意していました。「たった3年でこれだけのジャパニーズは立派だ」と感心しました。アリソン嬢がジャパニーズを選択した理由は「日本のマンガを読めるようになりたい」とのこと。

熊本の小中学生のみなさまへ「LAリポート」
初めての拙作「平和の語り部」がヤフーのコンテストで審査員特別賞をいただいたご縁で、出身地の新聞社より「小学3年生から中学生を対象にした世界各地からのリポート記事を・・・」とのチャンスをいただきました。世界数カ国からの出稿で、5〜6週に1度の割合で2年にわたり写真と記事を送りました。
平成17年度は“ロサンゼルスの珍しいもの”を紹介する記事でしたが、2年目のお話をいただいたときに、「ぜひ、日本とアメリカの礎になった人々を年代順に紹介する“日米の懸け橋シリーズ”にさせて欲しい。」と編集担当の方にお願いしました。

150万羽の折鶴を集める平和運動をしている山本さんのサイトです。山本さんはロサンゼルスの“寛容の博物館”で日本語の案内をしながら、日本語補習校に勤務していました。