『あたりまえのことをあたりまえにしよう』と考えることを、大人の日本語で正攻法せいこうほう理念りねんといいます。みんな仲良く(平和に)暮らすには、借りたものは返すといった社会のルールを守ることや国民の義務を果たした上で選挙などの権利を主張することなど、あたりまえのことをきちんとやり続けることが必要ですね。もしも、宗教しゅうきょう人種じんしゅなどを差別さべつして、力づくでしたがわせようとすれば戦争になります。そして「やられたから仕返しをする」というのであれば、うらみがうらみを生むばかりで終わりがありません。

では、ビジネスで“あたりまえのこと”とは何でしょうか?
私は、ほか真似まねできないような特性とくせいを売ることだと思います。
私が渡米したころのアメリカで“日本製品”といえば“二流品”と思われていて、生魚なまざかな刺身さしみ)や豆腐とうふ味噌みそなどの大豆製品だいずせいひんも“まずしい食べ物”というイメージでした。海苔のりを見たアメリカ人から「ブラックペーパーを食べるのか」と不気味ぶきみがられたこともありました。日系米人ジャパニーズアメリカンだけをお客とした乾物かんぶつ樽詰たるづめ醤油しょうゆあきないいは“ノーホープ”の状態でした。
そこでまず、私はアメリカ人の口に合うクッキーを日本から輸入し始めました。
これは大いに売れたのですが、すぐに真似まねされて、人件費じんけんひの安い国からの輸入ゆにゅうに負けてしまいました。

結局、だれでも簡単かんたんに真似できるようなビジネスは外国じゃダメなんです。他の人種が真似できないような“日本人らしさ,他の民族みんぞくとちがう点,個性こせい特性とくせいといわれるもの”にほこりをもって売りこむことが大切なんですよ。日本人らしさを理解りかいして身につけるには、文化ぶんか歴史れきしなど社会科の勉強も大切ですね。


ところで、みなさんはカリフォルニアロールを食べたことがありますよね。今ではアメリカのスーパーにも売ってあります。

このカリフォルニアロールを最初に工夫くふうしたのは、リトルトーキョーにあった東京會舘かいかんというレストランの寿司職人すししょくにん真下ましたさんです。

最初(1960年代)は、今とはずいぶんちがう形で、生魚のかわりのアボガドとタラバガニのあしをマヨネーズであえた高級こうきゅう手巻てま寿司ずしでした。『日本の寿司をアメリカに紹介しょうかいしよう』という寿司職人のほこりと、外人さんが食べやすいよう、海苔のりを内側に巻く工夫が成功のかぎでした。

わたしは「本格的ほんかくてきなな美味しい寿司ならアメリカ人にも受け入れられる」と信じて、リトルトーキョーにあった川福かわふくというレストランにアメリカで最初の寿司カウンターを作ってもらいました。こうにしてジャパニーズレストランで必要な日本酒や和食器や材料などを日本から輸入することに力を入れてきました。

1980年代になると、日本車や電気製品が日本からアメリカにおしよせて敗戦国のイメージが変わったり、「将軍ショーグン」というABCテレビのドラマがヒットしたりで、日本食ブームがおこりました。アメリカ人のあいだにヘルシーフードへの関心がうまれたことも追い風になりました。
アメリカの大豆や米を日本に運んで
(←前ページの発展学習を参照)さらにアメリカに持って来るというのは、ビジネス上の無駄ですから、日本酒や味噌・醤油,蕎麦などのアメリカ生産も始めました。

もちろん、日本からロサンゼルスに来たジャパニーズフードの全てが成功したわけではありません。1980年に全米最初の鰻料理専門店うなぎりょうりせんもんてんがリトルトーキョーに開店しましたが、14年ほどでつぶれました。このあと、アメリカに鰻料理専門店はありません。うなぎは夏のエネルギー源として江戸時代えどじだいから日本人に愛されてきましたが、ビジネスとしてアメリカで成功するには、ウナギEelという不気味ぶきみなな食材をアメリカ人に受け入れさせる工夫や努力と、それを数年間ささえる経済力けいざいりょくが必要だったわけです。

【発展学習】… 日本は北半球の太平洋とアジア大陸のあいだに位置する小さな島国で、南北に細長く、山が連なっているよね。その土地と気候にあった生活が日本の文化と呼ばれ、そこで食べられてきたものが日本食と呼ばれるものですが、アメリカになくて日本にある行事や食べ物について調べてみよう。