後白河上皇の崩御でやっと、1192年に朝廷から征夷大将軍に任じられた源頼朝は、名実ともに幕府の形を整えました。幕府には3つの役所が設置されました。侍所(さむらいどころ)は武士の取り締まりや軍事・警察などを担当。公文所(くもんじょ)、後の政所(まんどころ)は幕府の財政や政務を、問注所(もんちゅうじょ)は裁判を担当しました。
当時の武士と幕府は、土地の所有権の認証をめぐる“ご恩”と“奉公”の関係で結びつき、後の江戸時代の封建体制とは異なる関係です。
鎌倉時代の武士は、平素は領地に住み田畑を耕して“いざ鎌倉”に備えました。華美な寝殿造りではなく、砦(とりで)のような館(武家造)で暮らしました。
当時の中国(宋)★から伝わった建築様式の影響を受けて、素朴で力強い建造物が好まれました。奈良、東大寺の南大門(なんだいもん)に、鎌倉時代を代表する仏像が置かれています。高さ8m余りの「金剛力士(こんごうりきし)像」です。東大寺を守るための仏像で、運慶(うんけい)と快慶(かいけい)によって作られました。口を固く結んでいるのは、「吽形(うんぎょう)」。怒りの表情を表しています。吽形と向かい合う形で立つもう一体が、「阿形(あぎょう)」。大きく口を開けて雄叫びを上げる表情です。左手を大きく開き、来るものを制止して、威嚇しています。どちらも胸や腕の盛り上がった筋肉など、写実的な表現です。運慶と快慶は金剛力士像を、武士の時代に合った形で力強く表現したのです。
★ルネッサンスの三大発明とされる羅針盤と活版印刷と火薬のルーツはこの頃の中国(北宋)にありますので、ルネッサンス期に行われたのは、発見というより改良です。