なんでここまで頑張ってこられたのか?って・・・
あのとき、ピカドンの下にいた人間にキノコ雲は見えなかったんだよ。
何が起こったのか判らない、
どうなるか見当もつかない世界で、
遺体の片づけや看病をしていた人が、次々に突然亡くなっていくんだよ。私は、『生きたい』と願いながらもわけもわからずに死んでいった人々に、生かされただけのこと。
原爆なんて、だぁれも知らない時代だからね。
生かされた人間にあるのは不安と恐怖だけ。
悪いことはなぁんにもしてないのに、キノコ雲の下にいたことが罪のようにおおいかぶさって、はずかしいことのように口を閉じるんだよ。
生かされた人間は何かをしなくちゃいけないと思っても、いじめにあうかもしれないというのが恐ろしかった。お嫁になんて行けないしね。
そんなときにパパさんがプロポーズしてくれて、あきらめていた子も授かった。大好きなパパさんの子を産みたいけど、被爆者というわけのわからない不安を残すだけでは?
と、悩んで悩んで悩んだけど、生きたくても死んでいった人たちの分も生きなくちゃ!
と、授かった命をつなげたくてね。
とにかく、『アメリカの地で、母親の私がいつ死んでも生き抜いていけるように』と、娘は厳しくしつけて自立させたよ。
パパさんのタネである一人娘がアメリカで生き抜いていけるように【平和のタネ】まくしかないと思ったんだよ。
でも、子どもの暮らしをインボルブしちゃいけないと思って、自分でできることをコツコツと続けるだけだよ。
以上、4月のおしゃべりを追記して
和ママの健闘に感謝申し上げます。
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