Mr.&Mrs.丸木は画家ですが、『原爆の図を描かねば』と思いたったのは、新型爆弾投下から3年後の雨のふる夏の夜だったそうです。
「3年間も私たちはなにをしていたのでしょうか。これを原爆ボケとでもいうのでしょうか。いいえ、当時ひろしまで絵かきは、絵をえがくことを忘れ、自分は傷つかずにいて傷ついた人をながめるむなしさにたえられず、絵よりも傷の手当てを、絵よりも食べ物を…と、思っていたのです。」と俊さんは語ってくれました。
画家・丸木夫妻のメッセージは作品にこめられていて、丸木美術館はじめ世界の特別展示で見ることができます。チャンスがあれば、ぜひ作品にこめられたメッセージを受け止めて平和について考えてみて下さい。
サイト制作者より・・・1980年にロサンゼルスで生まれた息子が現地校のプロジェクトでヒロシマについて調べ学習をしました。そのときに丸木夫妻や据石和さんにインタビューをして貴重な資料をたくさんいただきました。
平和を願う語り部たちの情報をより多くのみなさまと共有したいと思い、就職した息子からもらった中古のパソコンでホームページ制作の勉強を始めました。パソコンのつけ方も知らない器械音痴にとって、この“50歳の手習い”は、まさに“挑戦”でした。
お気づきのことがありましたらEメールで教えて下さい。
★なお、ヒロシマで亡くなった米兵の話は森重昭氏の著書 「原爆で死んだ米兵秘史」の中に書かれています。また、
An American face to the tragedy of Hiroshima
という記事にはここからリンクします。 |
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