2)ラバウル上陸
昭和18年3月27日:船は静かに港湾に入った。入江の波打ち際すれすれにヤシの木がちょうど日本の松のような形に突き出て、右手には富士山を丸くしたような山の頂上から煙が噴いている。一瞬どこで戦争が行われているのかと不思議に思われるほど、静かで美しいたたずまいのラバウル港であった。
三週間の航海中、前後して航行していた輸送船が潜水艦にやられた。あっちこっちから起こる兵隊の緊張した敵襲を知らせる声におびえ、身を硬くして船倉に身を縮めていたこの三週間を思い、無事の入港に感謝したものだった。
我々がランチに分乗して上陸する様を、島の住人はノロノロと動きながら遠巻きに見ていた。その体は真っ黒でまるで黒ダイヤのようなつやがあり、唇には真っ赤なビンロージュを塗り、赤いラプラプを腰に巻いていた。
兵庫,新潟,茨城,滋賀,台湾,静岡の6個班は、ラバウル港での輸送指揮官からの最後の挨拶と訓示の後、ココポ,赤根の兵站病院,田の浦病院への配属を告げられた。私たち兵庫班の勤務地はココポ第103兵站(へいたん)病院で、ラバウルから数km離れた奥地で、もっか攻撃を受けているラバウル地区には一班も残らなかった。
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