5)さらばラバウル
12月30日、最後の船である吉野丸でラバウルともお別れする日。後ろ髪を引かれる思い。浜は一杯の人で、兵隊さんたちも皆、涙、、、
残る者,出航する者、ともに明日の命は知れない。
「いよいよ野郎どもだけか。俺たち一生懸命頑張っていると内地に伝えて下さいよ。」と。送る者も送られる者も互いに見えなくなるまで手を振った。
ふとその時、人の気配を感じて振り向くと、森下曹長の顔が見えた。先のブエノスアイレス丸に私の病棟から送った患者さんの一人であり、私の病棟の室長でもあった方で、漂流中、実に立派にボートの中で指揮をされたと聞き『この人なればこそ』と、普段の曹長を知っている者はうなずいたものだった。私たちは乗船と同時に病院船勤務となった。船に弱い私には、揺れる船倉での飯あげ作業が何より辛いものだった。真っ青な顔でご飯をついでいると森下さんが代わってくださったものだ。甲板で“ガ島悲歌”を習い、皆で口ずさんだものだ。森下さんは比島(フィリピン)に上陸後、バギオの陸軍病院に行かれたそうだ。
|