6)マニラ仮宿泊
昭和19年1月9日にマニラに入港して、第12陸軍病院教育講堂を仮の宿舎として夢のような生活が始まった。カロマタという馬車に乗って城内に行ったり、ケソン病院に兵庫班を慰問したり、プールで水泳の練習をしたりして過ごした。パンが1個5円もして値段の高さにおどろいた。甘いものに飢えていたのでぜんざいを腹いっぱいになるまで食べた。思い出はたくさんあるが、最も印象深かったのは、マニラの兵隊は一等兵でもきれいな服を着て舗装道路をネギを片手に鶏をさげて歩いているということだ。ラバウルでは将校もスコップを手に兵隊と一緒に働いていたので、なんだか不思議な気がしていらいらした。前線とは土地条件によって差があるということを知ったのはもっと後のことだ。
1月30日:マニラ港から輸送船湖北丸に乗り込んだ。これまでの船が全部1万トン級であったのに比べてまことに小さな輸送船。私と斉藤とは蒸し暑い船倉を抜け出して甲板の煙突のかげで寝た。内海航路で波はおだやかだったが、15日もかかってやっと目的地ダバオに着いた。
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